4 月 30

 1971年の作品、邦題は『激突!』。ニコニコ動画のリンク。個人的に、「スピルバーグの才能はやっぱり凄いなぁ」と感じたキッカケになった映画。(ちなみにこれはスピルバーグの初監督作品)

 まっ昼間、恐怖のトラックに襲われた乗用車…の様子を描いた映画。これの凄いところは、【大型機械への恐怖】を見事に描いているところだと思う。たとえばコンビナート、ダム、貨物列車、大型トラックなど、人間が生み出した巨大な機械に対して、多くの人が憧れと同時に恐怖心を抱いていると思う。機械が突然自分を襲いはじめたらどうなる?という恐怖心。そんな人間の心の闇が、素晴らしいカメラワークで、見事に映像化されている。

 あと、この映画は、一見ホラー映画のようでホラー映画ではないところも重要なポイント。乗用車を襲うトラックの運転手の存在は暗示されているものの、誰が運転しているのかは決してわからないようになっている。この【自分を襲ってくる主体】に対する距離感の取り方が絶妙。もしトラックの運転手がいないことになれば、「機械が人間を襲撃する」というただのホラー映画になってしまう。他方、もしトラック運転手の存在がきちんと描かれてしまえば、「誰かが誰かを殺そうとしている」というただの殺人モノのアクション映画になってしまう。自分を襲ってくる主体が誰なのかが限りなくボカされているがゆえに、嘘くさいホラー映画ではないリアルな文脈にて「機械が人間に与える恐怖感」を巧みに演出できているのだと思う。お見事!

85点

4 月 30

 1977年の作品。ニコニコ動画のリンク。第2次世界大戦中の「マーケットガーデン作戦」(連合国軍vsドイツ軍)を扱ったもの。もうこれは文句なくいまだに戦争映画のトップ3に君臨する名作中の名作だと思う。観やすい、戦闘シーンで興奮できる、音楽が抜群に素敵、美しい絵の数々、そしてラストシーンが深く余韻を引く。

 おそらく、評価される戦争映画ってのは、得てして、以下の条件を備えている。

1.「国のために戦う」という大義名分を無条件に信じ込まない、シニカルで醒めた主人公が登場する
2.迫力がありリアリティーあふれる戦闘シーンが描かれている
3.<味方=善/敵=悪>という二分法ではなく、両者の人間性がきちんと描写されている
4.戦争のむなしさを暗示させるような台詞ないしやりとりでラストシーンが締めくくられる
5.芸術的(幾何学的)に美しいカメラの構図が散りばめられている

 この映画は上記の5条件を見事に満たしている。本当に質の高い映画なんだけれども、典型的な「良い戦争映画」に忠実すぎるので、若干、優等生臭く感じられるかもしれない(自分はそう感じた)。つまり、自分の予想の範囲を超えた現実の生々しさ(生の躍動)には欠けるものの、これ以上はありえないというほどの優等生的戦争映画なのです。そうそう、抜群の音楽、格好良すぎるラストシーン(エンディングロール)、幾何学的に美しい構図(とくに落下傘部隊が飛行機からパラシュートを広げながら地上に舞い降りていくシーンの美しさ;CGを使わず実録だからこそ表現できる空気感)にも注目してみてくださいね。

94点

4 月 4

 1992年、アメリカの作品。ニコニコ動画にもある。黒人のカリスマ的指導者、マルコムXの生涯を追った伝記的作品で、3時間22分もある超大作。長い!でもまったく飽きさせない。最後まで食い入るように観てしまった。映像も脚本も音楽も、良く練られている。

 マルコムXの生涯を丁寧に描いており、「伝記」として本当に立派な作品だ。3時間半もの大作を作ることを許されたのはスパイク・リー監督だからだろうけれども、彼は与えられた時間を存分に活かしている。さまざまな歴史的人物について、これだけの密度とヴォリュームを備えた伝記的映画が、もっともっとたくさん作られれば良いのにな、と思う。

 マルコムXがひたすらカリスマ的に描かれていないところが素晴らしい。

 マルコムの中には、身を切り刻むような、激しい恐怖心と、生命の危機をわざわざ呼び込んでいるみたいに、思い切った行動をしないではいられない、むこうみずな心とが、同居している。恐れおののきながら、あるいはそれ故に、「敵」の前では、自分を精いっぱい大きく見せようとする。虚勢によって恐怖が中和できるとでも思っているみたいである。(参照

 この引用部はマルコムXの特徴をかなり的確にあらわしていると思う。この映画では、隠しきれない恐怖心を持ち、それゆえに虚勢を張り恐怖を打ち消そうとするマルコムXの生き様が、実に良く描かれているのではないか。理念に燃えた聖人としてではなく、さまざまな出会いや偶然を積み重ねる中で(黒人指導者という)社会的役割を獲得していく人間くさい男としてマルコムXを描いた監督の力量は、なかなかのものだ。確たるリアリティを持った人間の生き様が、じわじわと伝わってくる。

 ほんとうに誠実な伝記的映画。こういう作品、もっと増えれば良いのに。あと、マルコム役のデンゼル・ワシントンは、マルコム本人に似すぎです。ここまで似ていると、「演技」の臭いすら嗅ぎ取れなくなってしまうよ。

83点

4 月 4

 2001年ドイツの映画。ニコニコにもある。社会心理学者のジンバルドーが行った「スタンフォード監獄実験」から着想を得たものだが、映画のストーリーはかなりフィクション。

 あのねぇ…と言いたくなる駄作。もともとスタンフォード監獄実験は【刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験】だったのだが、「普通の人」が徐々に狂気に陥っていく様を繊細に扱った心理描写がほとんどなされていない。スタンフォード監獄実験をダシにした、ただのドンパチアクション映画じゃないですか。いまだにこの映画を「実話」だと勘違いしている人もいるようだけれども、そんな人はスタンフォード監獄実験の詳細をちゃんと読んでください。実際の実験の方がはるかに面白い。

 あと、教授の心理描写がなされておらず、忙しいので実験を放置していたかのごとく描かれていて、しまいに撃ち殺されてしまうというストーリーラインは、アクションとしては王道なのかもしれないが、ドラマとしては陳腐きわまりない。彼の内面をきちっと描いてほしかった。それが一番興味深いところなのに。

 ジンバルドーは、実際の監獄でカウンセリングをしている牧師に、監獄実験の囚人役を診てもらい、監獄実験と実際の監獄を比較させた。牧師は、監獄へいれられた囚人の初期症状と全く同じで、実験にしては出来すぎていると非難。看守役は、囚人役にさらに屈辱感を与えるため、素手でトイレ掃除(実際にはトイレットペーパの切れ端だけ)や靴磨きをさせ、ついには禁止されていた暴力が開始された。ジンバルドーは、それを止めるどころか実験のリアリティに飲まれ実験を続行する。(参照

 緊張状態に置かれている看守役のみならず、研究者そのものが「リアリティに飲まれて実験を続行」してしまう様こそが、人間の狂気の最も興味深い部分を表象していると思うのだけれども。つまり、一見この映画は(ただのアクション映画ではなく)人間精神の暗部を垣間見せてくれるようでいて、実はただの「ダイハード」レベルのお話を描いたにすぎない。さらに、「主人公の彼女のストーリーライン」も余分としかいいようがない。映画の魅力を増すために何ら貢献していない。駄作。

55点

4 月 1

 1957年に公開された、陪審員たちのやりとりを演劇的に描いた、呆れてしまうほどの名作。ニコニコ動画にもある。これを観て「よくわからない」だとか「時間の無駄だった」などと感じる人はおそらくいないのではないか。もう、語るのが馬鹿らしくなってしまうような作品。だから、少しだけ。

 この映画はとても面白いのだが、実はかなり非現実的な描写を行っている。なぜなら、無罪を主張する側は<論理・理性・証拠>に則っており、有罪を主張する側は<感情・偏見・思い込み>に則っているという形で、綺麗に二分法が成立しているからだ。この映画に興奮してしまうとき、おそらくわたしたちは、「偏見に満ちた感情的な馬鹿をあざ笑う」というカタルシスを得ている。この映画の愉快さのかなりの部分は、「バカを安全地帯から嗤うことができる」という、ハリウッド的な二分法の仕掛けに由来していることには注意したい。(一見したところよくありそうな話だけれども、実際にはあまりない状況だと思うのだ、アレは)

 まぁでも、演劇的な舞台だと考えれば、これは面白いです。本当に。あと、カメラワークに注目。カメラの長回し(短くカットして編集せずにひたすら1ショットを続けること)が、めちゃくちゃこの映画の魅力を引き立てている。カットして場面場面をつなぐのではなく、リンゴの皮を剥くようにぐるぐるとカメラが長時間1ショットを撮り続けるからこそ、男たちの心理的な交錯が生々しく伝わってくるんだよなぁ。オープニングの長回し、そして陪審員が徐々に引き上げていくラストシーンの長回し。この二つは要チェック。痺れた。

93点

4 月 1

 1984年のイギリス映画で、ニコニコ動画にもちゃんとある(再生数が少ない!もっとみんな観てくれ!)。事実にかなり忠実に作られていて、カンボジア大虐殺を世界に伝えるに当たってとても大事な役割を果たした作品。ぶっちゃけていえば、1.カンボジアに興味がある人は少ないだろう、2.カンボジアの歴史について書かれた本をわざわざ読もうとはしないだろう、3.せめてこの映画は観てください、ということになる。

 また、「カンボジアの歴史を伝える意義」という点をのぞいて、純粋に映画として評価しても、良く出来ている。これは名作でしょう。何よりもディト・プラン(昨日逝去してしまった…)役のハイン・S・ニョールの演技が素晴らしい。これほどまでに素晴らしい演技は滅多に観ることができない。彼は実際にポル・ポト政権下のカンボジアを生き抜いた医者で、この映画に出演するまで役者の経験は一切なかったのだが、過去の経歴を買われて主人公に抜擢された(その後アメリカの自宅前で殺されてしまった。なんという人生だろう…)。

 過去の胸の痛みをすべて吐き出すかのような、鬼気迫る演技だ。いやこれは演技ですらない。彼にとっては過去の追体験の意味が多分に含まれていたのだろう。(クメール・ルージュ役を見事にこなした少女の演技があまりにリアルだったので、撮影現場にて、彼は思わず「あいつは本物のクメール・ルージュだ!」と罵声を浴びせながら激怒してしまったという)。彼の演技に息苦しくなり、観ている途中、なんども再生を止めてしまった。

 ラストシーンの際にジョン・レノンの「imagine」が流れるのだが、この恥ずかしすぎるベタなチョイスに、全く疑問を感じず、涙をこぼしてしまった。そう、ひさびさに映画で泣いてしまったよ。もちろん、これは自分がカンボジアを旅した経験を持っているからかもしれないけれども。

 カンボジアの虐殺について、この映画から抜けている政治的な話については、次の引用部を読んで欲しい。この映画はカンボジアが経験した凄まじい殺戮を不十分にしか伝えていない。でも、それは仕方がないことだ。

 約八〇〇人の在日カンボジア人はほぼ例外なくこの映画を観たがり、現に少なくとも五〇人は観た。その半数余りは、家族の全部または一部を殺されたサハコー生活の体験者(難民)だ。彼らは私に、あれは本当にあったことです、ディト・ブランは私たちの分身です、と口々に語った。

 彼ら体験者は、サムディ医博と同様に、この映画がポ政権下の故国のすさまじい殺戮と文明破壊を、きわめて不十分にしか伝えていない、とつけ加える。せいぜい二〇~三〇%しか、と。私が多くの生存者から聞いたサハコー生活の実態は、確かに画面のそれの何倍もの恐怖と苦痛を感じさせる。もう一つ、この映画の欠陥をあげれば、それは赤色クメールとはそもそも何か、かくも異常な集団がなぜカンボジアに限って権力を握ったのかという、いわば背景説明が全く省かれていることだろう。そのために出来のいい反共エンターテインメントと受け取られる恐れがなきにしも非ずだし、ポ政権の出現を決定的に助けた巨大な外部要因が見失われることにもなる。巨大な外部要因とは中国共産党文革派だ。(参照

 NYT記者のシドニー・シャーバークは、1.怒りっぽい、2.独善的(傲慢)、3.でも正義という理念に燃えている、という特徴を持つ人物として描かれている。これってアメリカそのまんまだよね、と気がついた。シドニーとディト・プランの関係は、もしかしたら、アメリカとカンボジアの関係のメタファーになっているのかもしれない。そうであるならば、ラストシーンでのやりとり、

“Forgive me”とシドニー(アメリカ人)
“Nothing to forgive you, nothing”と笑って首を振るディト・プラン(カンボジア人)

を、どのように捉えたらよいのだろう。これは「甘い」描写だろうか?それとも「過去と決別して未来へ突き進んでいく人間の強さ」を示した描写だろうか?あなたはどんな感想を抱くのだろう?とにかく、自分は、泣いてしまった。

84点