9 月 3

 この映画についてはあらためて語ることはないのだけれども、ニコニコに転がっているので、未見の人は必ず観た方が良いよというサジェスチョンまでに記事を起こしておく。以前書いたものを転用すれば、「男/女の境界線」および「西側世界/東側世界の境界線」を、ロックンロールの力で越境して、人間の存在そのものを「裸体」という場所で問う希有な作品、ということになる。そもそも、「映画ってあまり面白くないし好きじゃない…」と零すサブカルLoverな人に自分が満全の自信を持ってオススメできる映画(これを観せてダメだったらもうその人に映画を紹介するのは止めよう、という諦めがつく最終防衛ライン的な映画)は3本しかない。1.ロシュフォールの恋人たち。2.シェルブールの雨傘。そしてこの、3.Hedwig and the Angry Inch。これらはどれも、とにかくもう圧倒的にキャッチーで観る者をぐいぐい惹き込む強度を持っていながら、なおかつスルメのような七色の味わいを湛えた映画だ。これら三作に共通するのは、すべてミュージカル映画であるということ。映画において音楽が果たしている力を思い知るがいい。万人にあまねくオススメ!

95点

9 月 2

 1986年の作品、ニコニコ動画へのリンク。ベトナム戦争モノ。作品解説

 これは救いのない戦争映画だ。「救いのない」というのは、ため息しか出ない、ベタに憂鬱になる以外に方法がない、ということだ。たとえば『プライベート・ライアン』は、胃が縮み上がるような肉体感覚としての戦争を追体験をするというスペクタル的な楽しさを持ち合わせている。憂鬱、というよりは興奮する映画だ。たとえば『遠すぎた橋』は、幾何学的に洗練された構図によって、戦争そのものが美的な段階にまで昇華されている。憂鬱、というよりはむしろ感嘆する映画だ。また、多くの反戦映画では、徹底的に絶望的な戦争の状況が描かれることによって、観客はむしろ救われているといえるだろう。「悲惨すぎる」という感覚は、容易に、「戦争は絶対にダメだ!」「許せない!」という憤りや倫理的使命感に転化する。それは間違いなく観客にとってある種の「救い」なのだ。憂鬱感を、前向きな未来に向けてのエネルギーに変えることができるのだから。「絶望している自分」に酔うことができるのだから(もちろんそれは決して悪いことではないのだけれども)。ところがこの『プラトーン』では、メタに逃げる要素が一切残されていない。もう、興奮することもできず、怒ることもできず、泣くこともできず、美的洗練に感嘆することもできず、ただただ憂鬱なのだ。観やすいハリウッド映画として「ベタな憂鬱そのものとしての戦争」のリアリティを鮮やかに切り取った傑作。少々古めかしい部分があるとはいえ、この映画は、一度観ておく価値があるだろう。

85点

4 月 30

 1971年の作品、邦題は『激突!』。ニコニコ動画のリンク。個人的に、「スピルバーグの才能はやっぱり凄いなぁ」と感じたキッカケになった映画。(ちなみにこれはスピルバーグの初監督作品)

 まっ昼間、恐怖のトラックに襲われた乗用車…の様子を描いた映画。これの凄いところは、【大型機械への恐怖】を見事に描いているところだと思う。たとえばコンビナート、ダム、貨物列車、大型トラックなど、人間が生み出した巨大な機械に対して、多くの人が憧れと同時に恐怖心を抱いていると思う。機械が突然自分を襲いはじめたらどうなる?という恐怖心。そんな人間の心の闇が、素晴らしいカメラワークで、見事に映像化されている。

 あと、この映画は、一見ホラー映画のようでホラー映画ではないところも重要なポイント。乗用車を襲うトラックの運転手の存在は暗示されているものの、誰が運転しているのかは決してわからないようになっている。この【自分を襲ってくる主体】に対する距離感の取り方が絶妙。もしトラックの運転手がいないことになれば、「機械が人間を襲撃する」というただのホラー映画になってしまう。他方、もしトラック運転手の存在がきちんと描かれてしまえば、「誰かが誰かを殺そうとしている」というただの殺人モノのアクション映画になってしまう。自分を襲ってくる主体が誰なのかが限りなくボカされているがゆえに、嘘くさいホラー映画ではないリアルな文脈にて「機械が人間に与える恐怖感」を巧みに演出できているのだと思う。お見事!

85点

4 月 4

 1992年、アメリカの作品。ニコニコ動画にもある。黒人のカリスマ的指導者、マルコムXの生涯を追った伝記的作品で、3時間22分もある超大作。長い!でもまったく飽きさせない。最後まで食い入るように観てしまった。映像も脚本も音楽も、良く練られている。

 マルコムXの生涯を丁寧に描いており、「伝記」として本当に立派な作品だ。3時間半もの大作を作ることを許されたのはスパイク・リー監督だからだろうけれども、彼は与えられた時間を存分に活かしている。さまざまな歴史的人物について、これだけの密度とヴォリュームを備えた伝記的映画が、もっともっとたくさん作られれば良いのにな、と思う。

 マルコムXがひたすらカリスマ的に描かれていないところが素晴らしい。

 マルコムの中には、身を切り刻むような、激しい恐怖心と、生命の危機をわざわざ呼び込んでいるみたいに、思い切った行動をしないではいられない、むこうみずな心とが、同居している。恐れおののきながら、あるいはそれ故に、「敵」の前では、自分を精いっぱい大きく見せようとする。虚勢によって恐怖が中和できるとでも思っているみたいである。(参照

 この引用部はマルコムXの特徴をかなり的確にあらわしていると思う。この映画では、隠しきれない恐怖心を持ち、それゆえに虚勢を張り恐怖を打ち消そうとするマルコムXの生き様が、実に良く描かれているのではないか。理念に燃えた聖人としてではなく、さまざまな出会いや偶然を積み重ねる中で(黒人指導者という)社会的役割を獲得していく人間くさい男としてマルコムXを描いた監督の力量は、なかなかのものだ。確たるリアリティを持った人間の生き様が、じわじわと伝わってくる。

 ほんとうに誠実な伝記的映画。こういう作品、もっと増えれば良いのに。あと、マルコム役のデンゼル・ワシントンは、マルコム本人に似すぎです。ここまで似ていると、「演技」の臭いすら嗅ぎ取れなくなってしまうよ。

83点

4 月 1

 1957年に公開された、陪審員たちのやりとりを演劇的に描いた、呆れてしまうほどの名作。ニコニコ動画にもある。これを観て「よくわからない」だとか「時間の無駄だった」などと感じる人はおそらくいないのではないか。もう、語るのが馬鹿らしくなってしまうような作品。だから、少しだけ。

 この映画はとても面白いのだが、実はかなり非現実的な描写を行っている。なぜなら、無罪を主張する側は<論理・理性・証拠>に則っており、有罪を主張する側は<感情・偏見・思い込み>に則っているという形で、綺麗に二分法が成立しているからだ。この映画に興奮してしまうとき、おそらくわたしたちは、「偏見に満ちた感情的な馬鹿をあざ笑う」というカタルシスを得ている。この映画の愉快さのかなりの部分は、「バカを安全地帯から嗤うことができる」という、ハリウッド的な二分法の仕掛けに由来していることには注意したい。(一見したところよくありそうな話だけれども、実際にはあまりない状況だと思うのだ、アレは)

 まぁでも、演劇的な舞台だと考えれば、これは面白いです。本当に。あと、カメラワークに注目。カメラの長回し(短くカットして編集せずにひたすら1ショットを続けること)が、めちゃくちゃこの映画の魅力を引き立てている。カットして場面場面をつなぐのではなく、リンゴの皮を剥くようにぐるぐるとカメラが長時間1ショットを撮り続けるからこそ、男たちの心理的な交錯が生々しく伝わってくるんだよなぁ。オープニングの長回し、そして陪審員が徐々に引き上げていくラストシーンの長回し。この二つは要チェック。痺れた。

93点

3 月 31

 2001年に製作された、おなじみのこの作品。ニコニコ動画にも転がっている。米国防総省に撮影協力してもらう見返りとして、米軍の不利になるいくつかのカットを削除したという経緯も含めて、「アメリカ軍のプロパガンダ映画だ!」と一部で糾弾されているようだけれども、自分は比較的評価している。

 まず、この映画は9割近く戦闘シーンで占められているため、戦闘シーン(「アクション」)のリアリティが評価を大きく左右する。アクションシーンの面白さについては、文句なし。ブラックホーク・ダウンの戦闘シーンには、かなり人を惹きつけるものがある。では、「ドラマ」(物語筋)についてはどうだろう。この映画で描かれているドラマのプロットを一言で要約すれば、「戦場で一緒に戦っている仲間を見捨てることはできない。だから戦うんだ」ということになる。もしこの映画が誰かに感傷を与えるとすれば、「仲間意識」に関するものだろう。では、「仲間を見捨てることができない」という気持ちを米軍側の視点から一方的に描くと、「プロパガンダ」になってしまうのだろうか?何気なく検索をかけていたら、2chにこのような書き込みを見つけた。

77 :専守防衛さん :02/12/07 22:43
 ああいう状況に追い込まれればだれでも仲間意識は発揮すると思うよ。日本じゃ実戦を経験している人は居ないけれど、災害時などは命令が無くてもどこからともなく集まってきたりするし、レインジャーやデルタが訓練で能力を磨いているとしてもそれは兵士としての戦闘能力であって人間としての性格は万国共通だと思う。この映画で余りよく描かれていないソマリアの人たちだって兵士個人のレベルではやはり仲間や家族のために戦っているんだよね。 (参照

 これは説得力がある意見じゃないだろうか。戦場で兵士たちのモチベーションを維持させる理由にはいくつかの階層性が存在するのだろう。おおざっぱに考えれば、

レベル1:身近に衣食住や訓練をともにしてきた(同じ部隊に所属する)仲間たちのため
レベル2:同胞・国のため
レベル3:正義などの大義名分のため

とでも言えるだろうか。本作品の描写のメインはアクションシーンだったのだから、「ドラマ」に関して、レベル1の「仲間意識」のみを(米軍側の見方から)一面的にしか扱えないとしても、仕方ない気がするのだ。そもそも仲間意識とは、一方的なものなのだから。

 あるひとつの物事(出来事)は、さまざまなレベルから語ることができる。たとえば、目の前にガラスで出来たコップが置いてあるとする。そのコップについて2人で語り合うとする。このとき、コップのデザインについて語ることも、コップの物理学的構造について語ることもできる。わたしたちがコップのデザインについて語るときの言語レベルと、コップの分子構造を物理学的に語るときの言語レベルは、異なっている。しかし、どちらか一方の語り方が正しいということはなく、両者は共存できる(ともに正しい)。大事なのは、語りのレベルを一致させることだ。もし相手がデザインについて語っているならば、わたしもデザインについて語らねばならない。「このコップのデザインは美しいよね?」という問いかけに対して、「そもそもガラスはケイ酸塩で構成されていて…」と応じるならば、会話が無意味なものになってしまう。逆に、もし科学者がコップの分子構造について語っているならば、わたしも分子構造のレベルで返事をしなければならない。

 つまり、レベル1として描かれた仲間意識の物語に対して、レベル3の観点から「プロパガンダだ!」と批判するのは、なにか違う気がするのだ。

 結論。この映画は(レベル3の「大義名分」という意味において)「戦争は正義だ」「米軍だけが正義を体現している」などと語ってはいない(と自分は感じた)。あくまで戦闘シーンがメインな映画だ。そして、戦闘シーンでは、レベル1の「仲間意識」が一方的な形で作動したとしても、非難はできない(誰も仲間が死ぬ姿を見たくない)。だから、「プロパガンダだ!」という批判は妥当なものではないと思う。

 とはいえ、人間の精神の奥深さに触れる描写は一切出てこないため、「めちゃくちゃ面白い映画だ!」というわけにはいかない。あくまでアクション映画だ。アクション性とドラマ性を高い次元で両立させた『戦争のはらわた』などに比べると、評価は大きく劣ってしまう。また、「ソマリア民兵の描き方がいくらなんでもナイーブすぎるよね!」という感想を少なからず抱いてしまう。よって、次の点数を付けたい。

71点

3 月 30

 1994年の作品。ちなみにニコニコにもある。この映画の良い点からいえば、まず、ケヴィン・ベーコンの演技は文句なく素晴らしい。また、かつてアルカトラズ刑務所にて行われていた非人道的な虐待行為を風化させないためのリマインダーとして働く効果がこの映画にはある。

 しかし、史実とはかなり異なった脚本が描かれている点が大幅マイナス。主人公のヘンリー・ヤングは実際には以前から殺人等を犯していたのであって、「妹のために5ドル盗んだだけなのに…」云々は全くのファンタジーに過ぎない。もちろん、映画は物語を描くものだから、脚本が実際の史実に基づいていなくともまったく構わない。だが、純粋なファンタジーとしてみたとき、この映画のストーリーラインはお粗末だといわざるをえない。

 ヘンリー・ヤングがひたすら「虐げられる者=弱者」として描かれている点が痛すぎる。これは多くのハリウッド映画に共通する欠点なのだけれども、なぜ<正義の側に立つ者/卑劣な悪者>という二分法でストーリーを作ってしまうのだろう。人間はそもそも、心の内部に、善も悪も、混沌も正義も、利他心も利己心も、すべての矛盾するものを抱えてドロドロしている存在なのであって、<正義の側に立つ者/卑劣な悪者>という二分法をスパッとやられると、シラけてしまわざるをえない。綺麗な二分法が成立していると、「それはどこのユートピアのおとぎ話だよ」と苦笑してしまうし、感情移入ができないのだ。

 アルカトラズ刑務所の虐待をダシに使うな、と言いたい。もし本気でアルカトラズ刑務所の世界を描きたいならば、もっと混沌とした人間の心理をきちっと描写して欲しかった。刑務所の所長や副所長は本当にただの「悪人」だったのか?なぜ彼らは受刑者を虐待したのか?彼らに虐待を促したその「残酷さ」を、今を生きるわたしたちも抱えているのではないか?そのような(皆が抱えている)人間の暗部を、彼岸のものではなく此岸のものとして、すべて平等にさらけ出して欲しかった。悪者仕立て=スケープゴートにして「はいおしまい」、とするのではなく。よって、映画としての評価には厳しい点数を付けたい。感動など決して出来ない。というか、この作品に感動してはいけない。

58点

3 月 29

 映画全体の物語筋はハリウッド臭くてイマイチなんだけど、やはり冒頭の戦闘シーンの映像と音響が圧倒的だと思う。戦争の肉体的な恐怖をここまで体感できる映画はないのでは?つまり、頭で理解する戦争、胸を痛める悲惨な物語としての戦争ではなく、びゅんびゅん飛び交う銃弾や砲弾に恐怖し手に汗を握り、人命が虫けらみたいに海の藻屑と消え、内蔵がぶちゅぶちゅ飛び出してしまうような、そんな【戦慄的な身体感覚としての戦争】をまざまざと体験させてくれる点が素晴らしい。自分が次の瞬間には肉の塊になっているかもしれないという戦争の現実を味わせてくれる作品。大金を投じなければ、このリアル感は表現できない。

75点

3 月 29

 ナボコフの小説も良いけれど、キューブリックが撮った映画版も素晴らしい。ロリータの女優が可愛い過ぎる。これはやばいね。それだけで観る価値がある。彼女に誘惑されたら全人生を投げ打って追いかけると思う。でも、彼女はどう見ても10代後半で、18歳前後といえば万人にとってストライクゾーンな恋愛対象になるわけで、だから、この映画では、ロリコン独特の奇特な世界が描かれていないとはいえる。その点は残念。つまり、ナボコフの小説は別にして、キューブリック独自が描いた世界観としてみれば、この映画は評価できると感じる。

85点

3 月 29

 1987年。戦争を誇張的に滑稽に描いた映画。だけれども、「それでも戦争はそういうものだし、そういう風に続いてゆく」というキューブリック監督の諦念が滲んでいて、その点が好き。思うに、反戦は真正面から唱えちゃダメなんだよ。スタイリッシュな反戦運動こそが組織されるべき時代だと思う。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2610757

78点



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