3 月 29

 ゴダールは大好きな監督だが、この映画にはゴダールの駄目な部分が集約されているように感じた。映像の強度もコラージュもセリフもプロットもいまいち。唯一救いなのは、ジャン=ピエール・レオの演技とシャンタル・ゴヤの仕草&声。こーいうの、タイプだわ。

70点

3 月 29

 たしかに傑作だ。「その瓶は何だい?」「嘘をついた男にかけるための硝酸よ」ってのもなかなかだ。でも、何かジャンヌ・モローをとりまく空気が痛々しかった。この感じた痛みは何なのだろう。自分がこういう女とばっかつきあっているからなのか‥

90点

3 月 29

 アンナ・カリーナ、可愛い。惚れそう。それに尽きる。ってかジャン・ポール・ベルモンドはやっぱ好きな俳優だ。横顔が堪らない。男なのに。

90点

3 月 29

  見終わった後にきゅっと恋人の手を握りたくなる映画。これに尽きる。もっとも、なぜそこまでセックス描写を織り交ぜるのかは謎。メルヘン過ぎる世界に、ある程度の汚さを織り込みたかったのか、あるいは、セックス自体をメルヘンに描きたかったのか。ともあれ、監督の頭の中にある世界を、映画という手段(メディア媒体)を使って表現した映画だ。実に「非現実的」な映画。アニメ的な映画。パリの町並みはパリの町並みではなく、パリの町並み的なもの(監督の頭の中にあるイメージの再現)となっている。だからこそ人は現実を忘れて、幸せな世界に浸ることができる。これは良い面だ。一方、非現実的だからこそ、実際画面に映っている場所から外へ、空間・意味はあまり拡がっていかない。現実に対してひらかれた映画ではないので、映画の中で世界が完結してしまっている。それは映画の可能性を狭めていることでもあるけれど、もちろん、それはそれで見事であり、素晴らしく、しばらく幸せ感に溢れた。(’02 2/23)

78点

3 月 29

  映画評論家・野崎歓の言を借りれば、これは優れて「越境する映画」だ。フランス軍将校とドイツ軍将校が、それぞれ対等な、独自の重みをもった存在として描かれている。ドイツ人という<他者>を排除し、フランス人という<自己>を高みに立たせようとする意図は見られない。敵を、悪役に仕立て上げ物語から排除するのではなく、敵自身の物語をも尊重している。この意味で、「戦意高揚」か「戦争の悲惨さの啓蒙」か、どちらか一方を目指す普通の戦争映画とは異なった世界が、この映画の中には存在する。「味方」と「敵」、という二分法は、見事に越境されている。フランス軍将校とドイツ軍将校は友情を交わす。その男達のドラマは、ひたすら格好良い。彼らが見せる独特の男臭さには、憧憬の念を禁じえない。しかも、このような越境の物語が、1937年に描かれていることにはただ驚くしかない。

  一番好きなのは最後の場面だ。ドイツ軍に捕虜として捕まったフランス軍将校二人が、ドイツからの脱走を企てスイスとの国境にさしかかった場面。雪の積もった山並みをゆっくりとキャメラが捉え、そのまま二人へと落ちる。よくある山並みだ。二人は会話する。「向こうはたしかにスイスか?」「そうとも」「同じ景色だ」「国境なんて人間の作ったものさ。自然は関係ない」「何もかも終わるといい。エルザのところへ行く」「愛してるか」「そう思う」「もし国へ帰れたら、君は飛行隊 俺は歩兵隊。また戦争だ」「もう戦争はやめてほしいぜ。これを最後にな」「君の幻影さ」 このような映画の、このコンテクストだからこそ、見事な映像とキャメラアングルが加わって、「国境なんて人間の作ったものさ」という言葉は比類なき重みを持つ。映像と言葉と音声を同時に駆使できる「映画」というメディアの持つ、強力なメッセージ性を垣間見た。そして、そう、この映画自体が、文字どおり「越境」を目指す男達の物語だったのだと改めて気がついた。 (’02 2/23)

90点



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