3 月 29

 1987年。戦争を誇張的に滑稽に描いた映画。だけれども、「それでも戦争はそういうものだし、そういう風に続いてゆく」というキューブリック監督の諦念が滲んでいて、その点が好き。思うに、反戦は真正面から唱えちゃダメなんだよ。スタイリッシュな反戦運動こそが組織されるべき時代だと思う。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2610757

78点

3 月 29

 1970年。イタリアの巨匠、デ・シーカの想いが詰まった、語るのが馬鹿らしくなるほどの名作中の名作。戦後、ロシアでロケされた世界初の映画。究極の戦争映画にして、究極の恋愛映画。それにしても、デ・シーカの力量には驚かされる。焼夷弾が湖畔の静かな夜明け空を軽やかに舞う。なんと美しいことか、そして美しさが、どれだけの残酷さを刻みつけていることか。
 
 個人的に一番好きなシーンは、ソフィア・ローレンがマストロヤンニを探してロシアを電車で移動中に、ひまわり畑が揺れるシーン。あのカメラワークには鳥肌を通り越して胸が詰まりそうになった。デ・シーカの描く、リアリスティックかつ穏やかな諦念が滲み出た空間に、過去の――愛・諦め・切断・持続にまつわる――記憶が溶け出していくのを感じた。

97点

3 月 29

  映画評論家・野崎歓の言を借りれば、これは優れて「越境する映画」だ。フランス軍将校とドイツ軍将校が、それぞれ対等な、独自の重みをもった存在として描かれている。ドイツ人という<他者>を排除し、フランス人という<自己>を高みに立たせようとする意図は見られない。敵を、悪役に仕立て上げ物語から排除するのではなく、敵自身の物語をも尊重している。この意味で、「戦意高揚」か「戦争の悲惨さの啓蒙」か、どちらか一方を目指す普通の戦争映画とは異なった世界が、この映画の中には存在する。「味方」と「敵」、という二分法は、見事に越境されている。フランス軍将校とドイツ軍将校は友情を交わす。その男達のドラマは、ひたすら格好良い。彼らが見せる独特の男臭さには、憧憬の念を禁じえない。しかも、このような越境の物語が、1937年に描かれていることにはただ驚くしかない。

  一番好きなのは最後の場面だ。ドイツ軍に捕虜として捕まったフランス軍将校二人が、ドイツからの脱走を企てスイスとの国境にさしかかった場面。雪の積もった山並みをゆっくりとキャメラが捉え、そのまま二人へと落ちる。よくある山並みだ。二人は会話する。「向こうはたしかにスイスか?」「そうとも」「同じ景色だ」「国境なんて人間の作ったものさ。自然は関係ない」「何もかも終わるといい。エルザのところへ行く」「愛してるか」「そう思う」「もし国へ帰れたら、君は飛行隊 俺は歩兵隊。また戦争だ」「もう戦争はやめてほしいぜ。これを最後にな」「君の幻影さ」 このような映画の、このコンテクストだからこそ、見事な映像とキャメラアングルが加わって、「国境なんて人間の作ったものさ」という言葉は比類なき重みを持つ。映像と言葉と音声を同時に駆使できる「映画」というメディアの持つ、強力なメッセージ性を垣間見た。そして、そう、この映画自体が、文字どおり「越境」を目指す男達の物語だったのだと改めて気がついた。 (’02 2/23)

90点



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