9 月 3

 この映画についてはあらためて語ることはないのだけれども、ニコニコに転がっているので、未見の人は必ず観た方が良いよというサジェスチョンまでに記事を起こしておく。以前書いたものを転用すれば、「男/女の境界線」および「西側世界/東側世界の境界線」を、ロックンロールの力で越境して、人間の存在そのものを「裸体」という場所で問う希有な作品、ということになる。そもそも、「映画ってあまり面白くないし好きじゃない…」と零すサブカルLoverな人に自分が満全の自信を持ってオススメできる映画(これを観せてダメだったらもうその人に映画を紹介するのは止めよう、という諦めがつく最終防衛ライン的な映画)は3本しかない。1.ロシュフォールの恋人たち。2.シェルブールの雨傘。そしてこの、3.Hedwig and the Angry Inch。これらはどれも、とにかくもう圧倒的にキャッチーで観る者をぐいぐい惹き込む強度を持っていながら、なおかつスルメのような七色の味わいを湛えた映画だ。これら三作に共通するのは、すべてミュージカル映画であるということ。映画において音楽が果たしている力を思い知るがいい。万人にあまねくオススメ!

95点

4 月 30

 1977年の作品。ニコニコ動画のリンク。第2次世界大戦中の「マーケットガーデン作戦」(連合国軍vsドイツ軍)を扱ったもの。もうこれは文句なくいまだに戦争映画のトップ3に君臨する名作中の名作だと思う。観やすい、戦闘シーンで興奮できる、音楽が抜群に素敵、美しい絵の数々、そしてラストシーンが深く余韻を引く。

 おそらく、評価される戦争映画ってのは、得てして、以下の条件を備えている。

1.「国のために戦う」という大義名分を無条件に信じ込まない、シニカルで醒めた主人公が登場する
2.迫力がありリアリティーあふれる戦闘シーンが描かれている
3.<味方=善/敵=悪>という二分法ではなく、両者の人間性がきちんと描写されている
4.戦争のむなしさを暗示させるような台詞ないしやりとりでラストシーンが締めくくられる
5.芸術的(幾何学的)に美しいカメラの構図が散りばめられている

 この映画は上記の5条件を見事に満たしている。本当に質の高い映画なんだけれども、典型的な「良い戦争映画」に忠実すぎるので、若干、優等生臭く感じられるかもしれない(自分はそう感じた)。つまり、自分の予想の範囲を超えた現実の生々しさ(生の躍動)には欠けるものの、これ以上はありえないというほどの優等生的戦争映画なのです。そうそう、抜群の音楽、格好良すぎるラストシーン(エンディングロール)、幾何学的に美しい構図(とくに落下傘部隊が飛行機からパラシュートを広げながら地上に舞い降りていくシーンの美しさ;CGを使わず実録だからこそ表現できる空気感)にも注目してみてくださいね。

94点

4 月 1

 1957年に公開された、陪審員たちのやりとりを演劇的に描いた、呆れてしまうほどの名作。ニコニコ動画にもある。これを観て「よくわからない」だとか「時間の無駄だった」などと感じる人はおそらくいないのではないか。もう、語るのが馬鹿らしくなってしまうような作品。だから、少しだけ。

 この映画はとても面白いのだが、実はかなり非現実的な描写を行っている。なぜなら、無罪を主張する側は<論理・理性・証拠>に則っており、有罪を主張する側は<感情・偏見・思い込み>に則っているという形で、綺麗に二分法が成立しているからだ。この映画に興奮してしまうとき、おそらくわたしたちは、「偏見に満ちた感情的な馬鹿をあざ笑う」というカタルシスを得ている。この映画の愉快さのかなりの部分は、「バカを安全地帯から嗤うことができる」という、ハリウッド的な二分法の仕掛けに由来していることには注意したい。(一見したところよくありそうな話だけれども、実際にはあまりない状況だと思うのだ、アレは)

 まぁでも、演劇的な舞台だと考えれば、これは面白いです。本当に。あと、カメラワークに注目。カメラの長回し(短くカットして編集せずにひたすら1ショットを続けること)が、めちゃくちゃこの映画の魅力を引き立てている。カットして場面場面をつなぐのではなく、リンゴの皮を剥くようにぐるぐるとカメラが長時間1ショットを撮り続けるからこそ、男たちの心理的な交錯が生々しく伝わってくるんだよなぁ。オープニングの長回し、そして陪審員が徐々に引き上げていくラストシーンの長回し。この二つは要チェック。痺れた。

93点

3 月 29

 この映画はニコニコ動画にも転がっているが、絶対に観た方が良い。命を賭けてオススメできる。

 それにしても、あまりに強烈な映画だ。「ドキュメンタリー」であるからこそ、人々はこの映画に打ちのめされる。戦時中、空腹に飢えかねた日本軍の兵士が下っ端の兵士を撃ち殺して人肉を喰らい命を繋いでいたという事実を、人肉を食した当事者がカメラの前ではじめて告白する場面――その緊迫感――は筆舌に尽くしがたい。この映画で一番「リアル」なものは、過去の罪を告白するか否かをめぐって責任を追及される登場人物たちの生々しい表情、狡さ、怒り、諦念などだ。これほどまでにリアルな駆け引きをおさめた映像は、滅多に存在しないだろう。告白者たちの表情がこの映画で一番印象に残っている。しかし、この映画は本当に事実をありのままにおさめた「ドキュメンタリー」なのだろうか?

 かつて蓮見重彦は、アッバス・キアロスタミの映画を評してこう述べた。「キアロスタミの映画は素朴な魅力にあふれているわけではない。(中略)子供の表情の驚くべき自然さを指摘する余裕があったら、その自然さを虚構としてキャメラで切り取って見せるというその演出の残酷さを想像してみるべきである」。どうやら、この映画もかなり「残酷」なものであったようだ。「奥崎謙三 神軍戦線異状なし」というブログに、いくつかの裏話が紹介されている。

 原によると「ゆきゆきて神軍」の人肉食やデッチあげ処刑の真相追及する件も、最初は奥崎はあまり乗り気ではなかったらしい。兎に角、自分のことを格好良く撮ってくれと、そういう態度がアリアリと感じられたそうだ。映画を利用して何かをやりかがっていたのは確かだ。最初は処刑事件の真相を追及するために、相手宅に行っても、奥崎が逃げるような言葉を与えてしまうので原は困り果てていた。(中略)そんな恥部を見せずに、「ゆきゆきて神軍」を反戦ドキュメンタリーに仕立てた原一男の編集技術は神業と言えよう。(参照

 奥崎自身も「ゆきゆきて神軍」のことをこういっている。「自分の生き方を認められる内容の映画を希望したが、原監督は戦争被害の実情を報告するドキュメンタリー映画を作りたかったようだ。そのため、私は被写体となることを二度三度やめようとしました」(参照

 奥崎に会いに来た人々は、天皇制への怨嗟を奥崎が吐露することを聞くことが目当てであるが、奥崎は「理想社会」の話を取り憑かれたかのように延々と続けるので、呆れて帰ってしまうらしいのである。奥崎も「この間も有名らしい人が来て私にいいましたよ。元兵士としての奥崎謙三は理解することを努力するが、理想社会だの世界の真理だのという奥崎は理解できない。私は別に理解されなくても構いませんがね」(中略)

 皇居パチンコ事件が起きたのが昭和四〇年代。この時期は反戦運動が盛んだった時期である。運動を盛り上げる材料として、奥崎は体よく作られた偶像に過ぎず、大衆は自己の都合の良いように奥崎という帰還兵を反戦のシンボルとして崇めていたに他ならない。つまり、調子よく踊らされていたのだ。(参照

 つまり、このドキュメンタリーに描かれている「戦争責任の追及という正義を追い求める暴力的な狂犬としての奥崎謙三」という姿は、かなりの程度作られた虚構であったということだ。手塚治虫はこの映画に登場する奥崎に対して「告発の姿勢がかなりカメラを意識して演技的に見える」と評したそうだが、なんのことはない、そもそも奥崎は「告発それ自体(戦争責任の追求)」を追い求めていたわけではないのだ。虚構を事実に偽装する、「ドキュメンタリー」と称される手法のぞっとするほどの残酷さ、それ自体がこの映画の醍醐味なのである。

 とはいえ、戦時下では相当数の兵士が人肉を喰らっていたし、時には味方の兵士を撃ち殺して食べていたという衝撃的な事実が、生々しい肉声とともに告白される場面をおさめた映像のリアリティは凄いし、なによりも、わたしたちはこの歴史的事実を真正面から凝視しなければならない。作られた虚構としての「戦争責任追及者・奥崎謙三」は、わたしたちの「戦争のはらわた」に対する凝視を引き出す、原一男監督がこしらえた超一流の装置だったのである。あらゆる意味で、凄まじい作品だ。日本人なら全員観るべきだ。

95点

3 月 29

 1966年。もうこれは文句のつけようがないミュージカル映画。よってコメントなし。ドヌーブも相変わらず凄まじく美しい。鑑賞後、史上最強にハッピーになる映画。これを観ないのはただの馬鹿、ってか勿体ない‥ ひとつだけ言うならば、冒頭で、みんなが踊っている広場をパンフォーカスしている状態から、徐々にマンションの一室へとカメラがズームインするシーン。痺れた。コテコテでベタなストーリーを、これだけ華麗に、かつ幸せ感充ち満ちて撮れるのはすごい。街角の踊りは、軽やかに出会って、離れて、異なる人と重なって、またどこかで出会うものだ。カメラワークが、その交差のさまを過剰なまでに表象している。人がたまたま交差して、別れて、またどこかで出会う。カメラは途切れることなく、軽やかに、まるでミュージカルのダンス・ステップのように、追う対象を切り替えてゆく。街角だからこそすれちがう、すれちがうからこそ高まる恋のドキドキと切なさ。ああ、幸せだ。

95点

3 月 29

 1970年。イタリアの巨匠、デ・シーカの想いが詰まった、語るのが馬鹿らしくなるほどの名作中の名作。戦後、ロシアでロケされた世界初の映画。究極の戦争映画にして、究極の恋愛映画。それにしても、デ・シーカの力量には驚かされる。焼夷弾が湖畔の静かな夜明け空を軽やかに舞う。なんと美しいことか、そして美しさが、どれだけの残酷さを刻みつけていることか。
 
 個人的に一番好きなシーンは、ソフィア・ローレンがマストロヤンニを探してロシアを電車で移動中に、ひまわり畑が揺れるシーン。あのカメラワークには鳥肌を通り越して胸が詰まりそうになった。デ・シーカの描く、リアリスティックかつ穏やかな諦念が滲み出た空間に、過去の――愛・諦め・切断・持続にまつわる――記憶が溶け出していくのを感じた。

97点

3 月 29

 ミュージカル映画。つまり、せりふはすべて歌。愛した彼が戦争に出かけ、待てど暮らせど還ってこない。登場するもう一人のイイ男。もはや交差しなくなった二人の道。彼はやがて還ってくる。が、それぞれがお互いを知らずに生きている。クリスマスも近い頃、ふたりは雪の中、ふたたび冷たい吐息を交わす――。 musicを担当するのはかのミシェル・ルグラン。って書くまでもなく超有名な作品ですが、なぜ今まで観なかったのかと悔やむほどのクオリティ。カトリック・ドヌーブの想像を絶する美しさに股間が立つのも忘れ、陽気さと哀愁がせめぎあう最高なルグラン・ミュージックに心躍らせていれば、画面にはなんとも鮮やかなTechnicolorの色遣い。とにかく観やすい。また、とにかく「面白い」。評論するのも馬鹿らしいほど、映画好きにも、ハリウッド映画しか観ない人にも、おすすめ。これを超えるミュージカル映画はあり得るのか?これを観て損したと感じるヤツがいるのか?

95点